史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

「二十二社巡り」八坂神社・京都府京都市東山区祇園町にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社。

や八坂神社I「二十二社巡り」八坂神社・京都府京都市東山区祇園町にある神社二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社主祭神・中御座:素戔嗚尊・東御座:櫛稲田姫命 - 素戔嗚尊の妻・西御座:八柱御子神- 素戔嗚尊の八人の子供(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神宇迦之御魂神大屋毘古神須勢理毘売命)の総称・全国にある八坂神社素戔嗚尊を祭神とする約二千三百社の総本社である。通称として祇園さんとも呼ばれる。七月の祇園祭で知られる。元の祭神であった牛頭天王祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、慶応四年=明治元年(1868)の神仏分離令により「八坂神社」と改められた。配神・ 神大市比売命、佐美良比売命 - いずれも素戔嗚尊の妻・ 稲田宮主須賀之八耳神/・牛頭天王は起源不詳の習合神祇園精舎を守護するとされ、日本では素戔嗚尊と同神とされていた。頗梨采女は牛頭天王の后神であることから素戔嗚の后である櫛稲田姫命と同一視された。櫛稲田姫命は方角の吉方(恵方)を司る歳徳神(としとくしん)と同一と見なされていた事もあり暦神としても信仰された。八王子は牛頭天王の八人の王子であり、暦神の八将神に比定された。また、東御座には社伝に明確な記述が無い蛇毒気神(だどくけのかみ)が祭られている。この神は沙渇羅龍王の娘で今御前と呼ばれる。または、ヤマタノオロチが変化したものとも考えられている。社伝によれば、斉明天皇二年(656)、高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされる。貞観十八年(876) 僧・円如が播磨国広峯の牛頭天王の分霊を遷し、その後、藤原基経が精舎を建立して観慶寺(別名 祇園寺)と称した延長四年(926) ある修行僧が祇園天神堂を建てた承平四年(934) 祇園感神院を建てた創建については諸説あるが、祭神は古くから牛頭天王であったことは確実である[川村一彦1] ※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。

 

 

 

 


 [川村一彦1]

 

 

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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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