史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

『歴史歳時記豆知識』54・元服とは、奈良時代以降の日本に於いて、男子の成人

元服1 元服2 を示すものとして行われる儀式のことであり、通過儀礼の一つである。「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。おおよそ数え年で12 - 16歳の男子が式において、氏神の社前で大人の服に改め、総角(角髪(みずら))と呼ばれる子供の髪型を改めて大人の髪(冠下の髻(かんむりしたのもとどり))を結い、冠親により冠をつける。武家の場合は烏帽子親(加冠)により烏帽子をつける(公家、及び、平氏系の武家では、厚化粧、引眉にお歯黒も付ける、源氏系は付けない場合が多かった)。それまでの幼名を廃して元服名(諱)を新たに付ける。その際に烏帽子親の偏諱を受けることが多くなった。元服の儀において、烏帽子を被せる役を「加冠」または「烏帽子親」と呼んだ他、童髪から成人用の髪に結い直す役を「理髪」、髪上げ道具及び切り落とした髪を収納するための箱を取り扱う役を「打乱(うちみだり)」、櫛で髪を整えるために用いる湯水を入れる器である泔坏を扱う役を「泔坏(ゆするつき)」と称した。室町時代以降は民間にも普及した。中世の元服年齢には規定がなく、5 - 6歳から20歳程度まで幅が存在するが、一族始祖の元服年齢に合わせる氏族もいる。江戸時代頃からは公家を除き、武家、庶民の間では元服の時に烏帽子をつけず、前髪を剃って月代にすることだけで済ますようになった。江戸時代以降は女性も元服と称し、結婚と同時に、未婚でも18 - 20歳くらいで行った。女性で元服という場合は、地味な着物を着て、日本髪の髪形を丸髷、両輪、又は先笄に替え、元服前より更に厚化粧になり、鉄漿親(かねおや)によりお歯黒を付けてもらい、引眉する。お歯黒を付けるが引眉しない場合は半元服と呼ばれた。半元服の習慣は現在でも祇園の舞妓、嶋原の太夫等、一部の花街に残る。民間においては褌親(へこおや)の元で、初めてふんどしを付け、性に関する知識を授かる褌祝(ふんどしいわい)と呼ばれる儀式がある。滋賀県近江八幡市の祭り「左義長」では、17歳の男子を「元服若衆」と呼び、左義長に火をつける役目を命じられるが、火のついた藁苞を持った元服若衆が左義長に近づくのを他の若衆が邪魔をすることで至難を与え、左義長に火がつくまで続けられる。※歴史の学ぶ 先人の教訓と智恵。
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Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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