『歴史歳時記豆知識』77・屯倉(みやけ)とは、ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置

 『歴史歳時記豆知識』77・屯倉(みやけ)とは、ヤマト王権の支配制度の一つ。全国に設置した直轄地を表す語でもあり、のちの地方行政組織の先駆けとも考えられる。「屯倉」は『日本書紀』の表記。『古事記』・『風土記』・木簡では「屯家」「御宅」「三宅」「三家」とも表記される。「官家」もミヤケと読まれることもあり、後に「郡家」はコオリノミヤケ、「五十戸家」がサトノミヤケと読まれた可能性がある。ミヤケのミは...

「浪速史跡巡り」四天王寺の六時堂は中心伽藍の背後に位置し、薬師如来坐像と四天王像を祀っています。

「浪速史跡巡り」四天王寺の六時堂は中心伽藍の背後に位置し、薬師如来坐像と四天王像を祀っています。 1623年建立であり、もともとはこの場所では無く、近隣の大江小学校の場所にあった椎寺薬師堂を移築したものです。 昼夜6回にわたって礼賛がおこなわれることから6時礼賛堂の名前が付けられました。 このお堂は納骨や供養などが行われる中心道場であり、大法要もここで行われるように、観光として重要なお堂とい...

『戦国時代の群像』51(全192回) 「細川 昭元」(1548~1615)戦国時代から安土桃山時代

 『戦国時代の群像』51(全192回) 「細川 昭元」(1548~1615)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。阿波・摂津・丹波守護。第19代細川京兆家当主。父は第34代室町幕府管領・細川晴元、母は六角定頼の娘。正室は織田信秀の娘で織田信長の妹・お犬の方。子に元勝(頼範)、円光院(秋田実季室)。幼名は六郎、聡明丸。のち昭元と名乗るが、一時期信長政権下では信元(のぶもと)、信良(のぶよし...

『歴史の時変変遷』(全361回)124”文正の政変“ 「文正の政変」文正元年(1466)9月6日に室町幕府8代将軍足利義政の側近伊勢貞親と季瓊真蘂らが諸大名の反発で追放された事件である

『歴史の時変変遷』(全361回)124”文正の政変“ 「文正の政変」文正元年(1466)9月6日に室町幕府8代将軍足利義政の側近伊勢貞親と季瓊真蘂らが諸大名の反発で追放された事件である。この政変で義政は側近を中心とした政治を行えなくなり、残った諸大名は応仁の乱を起こしていく。将軍足利義政は将軍の専制政治を確立しようとして乳父で政所執事伊勢貞親と鹿苑院蔭涼軒主季瓊真蘂を登用、諸大名の介入を行った。享徳3年(1454)...

「西国観音三十三所巡り」清水寺・”西国16番札所“京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音

 「西国観音三十三所巡り」清水寺・”西国16番札所“京都府京都市東山区清水にある寺院。山号を音羽山。本尊は千手観音、開基は延鎮である。清水寺の創建については、『群書類従』所収の藤原明衡撰の『清水寺縁起』、永正17年(1520年)制作の『清水寺縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)に見えるほか、『今昔物語集』、『扶桑略記』の延暦十七年(798年)記などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は...

「神仏霊場巡り」生國魂神社・古代より上町台地に鎮座する。難波大社と呼ばれ、創建は神武天皇が東征の時に難波津

「神仏霊場巡り」生國魂神社・古代より上町台地に鎮座する。難波大社と呼ばれ、創建は神武天皇が東征の時に難波津に上陸されたときに神武天皇が、国土の神である生島神、足島神を今の大阪城辺りに祀ったのが始まりと伝わる。飛鳥時代、孝徳天皇の時代には神域であった事を日本書紀が伝え祭神の生島大神、足島大神大八洲の御神霊と記されている。平安時代には宮中に於いても生島巫によって祀られ、難波の海浜での古代祭祀「八十島祭...

『社寺神仏豆知識』66・神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。大祭。五穀豊穣

 『社寺神仏豆知識』66・神嘗祭(かんなめさい・かんなめのまつり・かんにえのまつり)は宮中祭祀のひとつ。大祭。五穀豊穣の感謝祭にあたり、宮中および神宮(伊勢神宮)で儀式が行われる。また、祝祭日の一つで、秋の季語でもある。宮中祭祀の大祭で、その年の初穂を天照大御神に奉納する儀式が行われる。かつては9月11日(旧暦)に勅使に御酒と神饌を授け、9月17日(旧暦)に奉納した。1873年(明治6年)の太陽暦採用以...

『河内史跡巡り』元善光寺・当山は不断山善光寺として一光三尊の阿弥陀如来を本尊としている。元善光寺

 『河内史跡巡り』元善光寺・当山は不断山善光寺として一光三尊の阿弥陀如来を本尊としている。元善光寺とも呼ばれている。本田善光が難波の堀江で阿弥陀如来を会得し信濃に帰る途中ここに一泊し、その分身を祀り、庵を建て、翌年再び訪れて当山を建立したという。全国元・新善光寺の中で唯一融通念仏宗である。本田善光については欽明天皇の御代に百済より仏教とともに、一光三尊阿弥陀如来が伝わった。仏教を導入に崇仏派の...

『戦国時代の群像』50(全192回) 「丹羽 長秀」(1535~1585)戦国時代から安土桃山時代

『戦国時代の群像』50(全192回) 「丹羽 長秀」(1535~1585)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。織田氏の宿老。天文4年(1535)9月20日、丹羽長政の次男として尾張国春日井郡児玉(現在の名古屋市西区)に生まれる。丹羽氏は元々斯波氏の家臣であったが、長秀は天文19年(1550)から織田信長に仕えた。天文22年(1553)、梅津表の合戦にて19歳で初陣。弘治2年(1556)の稲生の戦いでは信長方に付き...

『歴史の時々変遷』(全361回)123“武衛騒動” 「武衛騒動」寛正6年(1465)に発生した室町幕府の内紛のことである

  『歴史の時々変遷』(全361回)123“武衛騒動” 「武衛騒動」寛正6年(1465)に発生した室町幕府の内紛のことである。将軍家家宰の伊勢貞親は8代将軍足利義政の信任を良いことに、管領家の一つ斯波氏(武衛家)のお家騒動に介入し斯波義敏と斯波義廉の間をとりなして私腹を肥やし、幕政を混乱に陥れた。将軍家家宰の身分でありながら管領家家督に口をはさむ貞親の横暴に激怒した有力者細川勝元と山名宗全は協力して文正...