京都古社寺探訪「宝徳寺」京都は清水寺の急な参道に面して無常寺として、本尊厄除け阿弥陀如来を脇檀に魚藍観世音菩薩

京都古社寺探訪「宝徳寺」京都は清水寺の急な参道に面して無常寺として、本尊厄除け阿弥陀如来を脇檀に魚藍観世音菩薩を安置する。創建は定かではないが、中興の関山は徳空上人歴代相承して今日にいたる。本尊阿弥陀如来は、聖徳太子推古天皇一六年宮中において、無量壽経を講説され「神力大光を演べて、普く無際の土を照らし、三苦の闇を削除した」これ文有り深く信じて、四二歳の厄年、厄除け守護の本尊として刻みし例像と信仰さ...

「二十二社巡り」大和国一ノ宮・大神神社・主祭神大物おおもの主ぬし大神おおかみ 奈良県桜井市三輪1422・大和国一ノ宮・式内社・旧官幣大社

「二十二社巡り」大和国一ノ宮・大神神社・主祭神大物(おおもの)主(ぬし)大神(おおかみ) 奈良県桜井市三輪1422・大和国一ノ宮・式内社・旧官幣大社・神武東征の以前よりこの地域纏向一帯に勢力を持った、先住氏族の磯城彦(しきひこ)が崇拝し、代々族長によって引き継がれた磐座(いわくら)祭祀(さいし)の儀式が行われたと思われている。皇室の崇敬も深く融和の為に外戚関係にあった。旧来は「大神大物主神社」と呼ばれてきた...

『歴史歳時記豆知識』76・鎮護国家(ちんごこっか)は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。思想

 『歴史歳時記豆知識』76・鎮護国家(ちんごこっか)は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。思想としては『仁王護国般若波羅蜜経』や『金光明最勝王経』に説かれているが、この経典を供養することで国家が守護されるとされているところから、南北朝時代の中国や奈良時代の日本で盛んに仁王会や最勝会などの法要が行われた。また、鎌倉時代には...

『河内史跡巡り』大聖勝軍寺・大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。開基は聖徳太子、本尊は植髪太子

 『河内史跡巡り』大聖勝軍寺・大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「太子堂」と呼ばれている。由来については用明天皇の御代に排仏派と崇仏派が戦った古戦場であった。大聖勝軍寺は戦勝記念の...

『戦国時代の群像』49(全192回) 筒井 順慶」(1549~1584)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。得度して順慶と称

『戦国時代の群像』49(全192回) 筒井 順慶」(1549~1584)戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。得度して順慶と称する前は、室町幕府13代将軍・足利義藤(後の義輝)の偏諱により藤勝(ふじかつ)、藤政(ふじまさ)と名乗っていた。大和筒井城主、後に大和郡山城主。事績については『多聞院日記』に詳らかに記述されている。大和国の戦国大名・筒井順昭の子として生まれた。 母は山田道安の娘・...

『歴史の時々変遷』(全361回)122“嶽山城の戦い” 「嶽山城の戦い」寛正元年(1460)12月19日から寛正4年(1463)4月15日にかけて河内国嶽山城

 『歴史の時々変遷』(全361回)122“嶽山城の戦い” 「嶽山城の戦い」寛正元年(1460)12月19日から寛正4年(1463)4月15日にかけて河内国嶽山城(現在の大阪府富田林市)で行われた戦闘で、室町幕府から反逆者として追われた畠山義就が嶽山城に籠城して2年以上幕府の追討軍と戦った。畠山氏は享徳3年(1454)に河内・紀伊・越中守護畠山持国の後継者を巡りお家騒動が勃発し息子義就と甥の畠山弥三郎(政久)が争い、弥三郎...

京都古社寺探訪「勝林寺」臨済宗大大本山東福寺の塔頭、勝林寺は嘉禎2年(1236)関白九条道家の発願

 京都古社寺探訪「勝林寺」臨済宗大大本山東福寺の塔頭、勝林寺は嘉禎2年(1236)関白九条道家の発願によって氏寺として建立し、大いに栄えた法性寺内に建立された。東福寺の寺名は、東大寺、興福寺の奈良二寺の一字ずつ取ったもので、20年近くかけて京都最大の寺院を聖一国師を迎え造営したが、初期の伽藍の大分部を焼失した。京都五山の列せられた。勝林寺は東福寺の塔頭の一つで、天文19年(1550)に東福寺代...

「二十二社巡り」吉田神社・京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。二十二社の一社。旧社格は官幣中社

 「二十二社巡り」吉田神社・京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。二十二社の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は以下の四柱春日神で、勧請元の春日大社と同じ。建御賀豆智命(武甕槌命)伊波比主命(経津主命)天之子八根命(天児屋根命)比売神(ひめのかみ)貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体...

「天津神・国津神」・65・(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である[1]。大国主など、天孫降臨以前からこの国土

「天津神・国津神」・65・(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である[1]。大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神」、天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている。ただし、高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国...

『河内史跡巡り』鴨高田神社・近鉄永和駅下車北側に鴨高田神社・当社は鴨(賀茂)氏の一族が673年(白鳳2年)に創建

 『河内史跡巡り』鴨高田神社・近鉄永和駅下車北側に鴨高田神社・当社は鴨(賀茂)氏の一族が673年(白鳳2年)に創建したと伝えられる延喜式内社で、祭神に速須佐之男命及び大鴨積命(素盞鳴命の十一世孫で、鴨氏の開祖)を祀ったのが当社の始まりで、中世に入り、岩清水八幡宮領となり、神功皇后、応神天皇を合祀し、「八幡宮」と称される様になった。 1615年(元和元年)大坂夏の陣にはこの付近が戦場となり、当社...