『歴史歳時記豆知識』60・親政(しんせい)とは、君主(国王・皇帝・天皇など)自身が政治を行うこと、またはその政治形態(君主制の一形式)

 『歴史歳時記豆知識』60・親政(しんせい)とは、君主(国王・皇帝・天皇など)自身が政治を行うこと、またはその政治形態(君主制の一形式)のことである。君主制といえど、様々な理由によって、君主自らが政治を行わない場合も多い。その理由としては、摂政、院政(後述)、高官(宰相、太政官、関白、内閣など)主導の政治体制、実権のある他の政府(幕府など)の存在、君主自身の政務への無関心などがある。親政とはそ...

『河内史跡巡り』来恩寺・当山の由来は、現在の地に江戸時代中期より来福寺として小さなお堂が有った

『河内史跡巡り』来恩寺・当山の由来は、現在の地に江戸時代中期より来福寺として小さなお堂が有った。明治三九年(1906)近くに恩覚寺と合併をし、来恩寺と称するようになった。来恩寺が融通念仏宗としての歴史は浅く100年足らずだが、来福寺(浄土宗)、恩覚寺(真言宗)の合併の名残として、本尊、観世音菩薩・脇侍に阿弥陀菩薩・弘法大師像が安置されている。元来あった観音菩薩像は移転の際の傷みがひどく、現在の本堂...

『戦国時代の群像』19(全192回) 「松平 清康」(1511~1535)戦国時代の武将。三河松平氏

 『戦国時代の群像』19(全192回) 「松平 清康」(1511~1535)戦国時代の武将。三河松平氏(安祥松平家)の第7代当主。第6代当主・松平信忠の子。三河国安祥城城主および岡崎城主。安祥松平家は清康の代に安城岡崎を兼領し、武威をもって離反していた一族・家臣の掌握を進め西三河の地盤を固めた。徳川家康の祖父にあたる。永正8年9月7日(1511)、第6代当主・松平信忠の嫡男として生まれる。大永3年(...

「京都古社寺探訪」永観堂・禅林寺・京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂

「京都古社寺探訪」永観堂・禅林寺・京都市左京区永観堂町にある浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂の名で知られる。山号を聖衆来迎山、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都である。当寺は紅葉の名所として知られ、古くより「秋はもみじの永観堂」といわれる。また、京都に三箇所あった勧学院(学問研究所)の一つでもあり、古くから学問(論義)が盛んである。...

「護王神社」京都府京都市上京区にある神社である。旧社格は別格官幣社。別称子育明神。和気清麻呂

「護王神社」京都府京都市上京区にある神社である。旧社格は別格官幣社。別称子育明神。和気清麻呂と姉の和気広虫を主祭神とし、藤原百川と路豊永を配祀する。護王神社は、和気氏の創建による高雄神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った廟(護王善神堂)に始まる。正確な創建の年代は不詳である。和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守った。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(185...

『社寺神仏豆知識』50・山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)は、『記紀』に記された日本神話。主に「海幸山幸(うみさちやまさち)」

 『社寺神仏豆知識』50・山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)は、『記紀』に記された日本神話。主に「海幸山幸(うみさちやまさち)」と呼ばれ、神話に多い神婚説話、理想郷に留まる内容であり、民話「浦島太郎」のもととなっている[1]。誕生地、生活などの伝説は宮崎県の宮崎市を中心とした宮崎平野に集中している。山幸彦 - 火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)海幸彦 - 火照命...

 『社寺神仏豆知識』50・山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)は、『記紀』に記された日本神話。主に「海幸山幸(うみさちやまさち)」と呼ばれ、神話に多い神婚説話、理想郷に留まる内容であり、民話「浦島太郎」のもととなっている[1]。誕生地、生活などの伝説は宮崎県の宮崎市を中心とした宮崎平野に集中している。山幸彦 - 火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)海幸彦 - 火照命...

『河内史跡巡り』道鏡と河内由義宮・、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮。奈良時代の神護景雲三年

『河内史跡巡り』道鏡と河内由義宮・、河内国若江郡(現在の大阪府八尾市)にあったとされる離宮。奈良時代の神護景雲三年(769年)から宝亀元年(770年)頃まで存続。八尾市八尾木北にある由義神社の境内に「由義宮旧址」の石碑が建ち、付近が離宮のあった場所とされているものの、確実な遺構は現在に至るまで発見されていない。称徳天皇はこの地の出身の僧・道鏡を寵愛し、太政大臣禅師さらに法王に任じ、天皇に準じた待遇を与え...

『戦国時代の群像』18(全192回)「尼子 経久」(1458~1541)戦国時代の武将・大名。出雲守護代

 『戦国時代の群像』18(全192回)「尼子 経久」(1458~1541)戦国時代の武将・大名。出雲守護代。長禄2年(1458)11月20日、出雲守護代・尼子清定の嫡男として出雲国に生まれる。幼名は又四郎。文明6年(1474)、人質として出雲・飛騨・隠岐・近江守護を務める主君・京極政経の京都屋敷へ送られ、この後5年間、京都に滞在する。滞在中に元服し、京極政経の偏諱を賜り、経久と名乗る。5年目に京都の滞在生活を...

歴史の時々変遷』(全361回)92”分倍河原の戦い“ 「分倍河原の戦い」鎌倉時代後期の元弘3年(1333)5月15日・5月16日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原

 『歴史の時々変遷』(全361回)92”分倍河原の戦い“ 「分倍河原の戦い」鎌倉時代後期の元弘3年(1333)5月15日・5月16日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(現在の東京都府中市)において、北条泰家率いる鎌倉幕府勢と新田義貞率いる反幕府勢との間で行われた合戦である元弘3年(1333)5月8日、新田義貞は上野国生品明神で鎌倉幕府打倒の兵を挙げた。この旗揚げ時の新田軍は、義貞以下一族の脇屋義助、大舘宗氏、堀口貞...