『歴史の時々変遷』(全361回)42“平忠常の乱” 「平忠常の乱」平安時代に房総三カ国で1028年に起きた反乱。

『歴史の時々変遷』(全361回)42“平忠常の乱”「平忠常の乱」平安時代に房総三カ国で1028年に起きた反乱。平安時代の関東地方では平将門の乱以来の大規模な反乱であった。平将門の叔父平良文の子孫に当たる平忠常が乱を起こし、朝廷は討伐軍を派遣するが3年にわたって鎮圧できなかった。有力武士の源頼信が起用されるに及び忠常は降伏した。この乱により房総三カ国は大いに荒廃した。長元の乱ともいう。平良文は下総国相馬郡を本...

鎌倉・室町の群像伝』(全186回)148“大田道灌” 太田道灌(1432~1486)室町後期の武将。

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)148“大田道灌”太田道灌(1432~1486)室町後期の武将。扇谷上杉家の家老。実名は一般に太田持資と伝えらえている。太田資長とする説も有力である。扇谷の家老として活躍した太田資清の子で、康正元年(1455)頃家督を継いだらしいが、間もなく武蔵江戸城を修築して自らの居城とした。関東は古河公方足利成氏と関東管領の上杉氏とが対峙する大乱の渦中にあったが、道灌は上杉陣営...

>「神仏霊場巡り」法華寺・奈良市法華寺町にある法華寺は奈良時代には日本の総国分尼寺

「神仏霊場巡り」法華寺・奈良市法華寺町にある法華寺は奈良時代には日本の総国分尼寺として東大寺の総国分寺の諸国国分寺、国分尼寺として配布された。本尊は十一面観音・開基は光明皇后である。元は真言律宗に属したが離脱し光明宗と称している。光明皇后所縁の寺院として、また門跡尼寺として知られ(皇族・貴族の子女が住職となる格式の高い寺院)この地は藤原不比等の邸宅があって、不比等の没後に、娘の光明子が相続して皇后...

「一ノ宮探訪」“籠神社“(このじんじゃ)は、京都府宮津市大垣にある神社。式内社(名神大社)、丹後国一宮。

「一ノ宮探訪」“籠神社“(このじんじゃ)は、京都府宮津市大垣にある神社。式内社(名神大社)、丹後国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称し、また「元伊勢根本宮」「内宮元宮」「籠守大権現」「籠宮大明神」とも称する。現在まで海部氏が神職を担当している。丹後国総社は不詳だが、当社が総社を兼ねたとする説がある。・主祭神・彦火明命 (ひこほあかりのみこと)「天...

『社寺神仏豆知識』12・(仏教十三宗五十六派)法相宗(ほっそうしゅう)は、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する

 『社寺神仏豆知識』12・(仏教十三宗五十六派)法相宗(ほっそうしゅう)は、インド瑜伽行派(唯識派)の思想を継承する、中国の唐時代創始の大乗仏教宗派の一つ。唐代、638年(貞観19年)中インドから玄奘が帰国して、ヴァスバンドゥの『唯識三十頌』をダルマパーラが注釈した唯識説を中心にまとめた『成唯識論』を訳出編集した。この論を中心に、『解深密経』などを所依の経論として、玄奘の弟子の慈恩大師基(一般に窺...

『歴史歳時記豆知識』18・大学寮(だいがくりょう)とは?、律令制のもとで作られた式部省(

『歴史歳時記豆知識』18・大学寮(だいがくりょう)とは?、律令制のもとで作られた式部省(現在の人事院に相当する)直轄下の官僚育成機関である。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行った。『日本書紀』の天智天皇10年(671年)紀に「学識頭」という役職が見られ、また『懐風藻』の序文に天智天皇が学校を創設したという記述が見られるため、この時代に大学寮の由来を求める考え...

『浪速史跡めぐり』大阪護國神社・大阪府大阪市住之江区にある神社(護国神社)である

。住之江公園および住之江競艇場に隣接している。正面鳥居は大阪府で最大の鳥居である。大阪府では、明治四年(1871年)4月10日に創設された真田山陸軍墓地の敷地内に招魂社が創建されたのが最初である。しかし、招魂祭は、西南戦争後は陸軍の拠点である大坂城内で、明治一六年(1883年)以降は中之島に建立された明治紀念標前で、明治33年(1900年)以降は城東練兵場で行なわれていた。なお、正確な時期は不明であるが、真田山の...

『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 43・「香坂かごさか王みこと忍おし熊くま王みこの反逆の説話」 応神天皇の誕生

『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 43・「香坂(かごさか)王(みこ)と忍(おし)熊(くま)王(みこ)の反逆の説話」 応神天皇の誕生 海波に関わる政務がまだ完了されていないうちに、皇后は出産の臨月になった。 そこで出産を遅らせようと、御腹に石を持ち、御裳の腰に付けられ出産を引き延ばされた。 新羅から筑紫国に帰られた時に、御子は生まれになった。 その御子の生まれの名を付けて、宇美と...

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)147“上杉顕定”上杉顕定(1454~1510)室町後期の武将。関東管領。越後守護上杉房定に次男

 『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)147“上杉顕定”上杉顕定(1454~1510)室町後期の武将。関東管領。越後守護上杉房定に次男。文正元年(1466)山内上杉氏の家督を継いで関東管領となる。当初は上杉一族の将師として武蔵五十子に布陣し、古河公方足利成氏と対峙したが、1477年に家臣の長尾景春が反乱を起こすと、成氏と和睦してこれを鎮圧し、さらに景春の拠点であった武蔵鉢形城を占拠して自らの居城と...

「一ノ宮巡り」大鳥神社・大阪府堺市西区鳳北町1の1の2・式内社・旧官幣大社和泉国一ノ宮は大鳥神社である。祭神は日本武尊

「一ノ宮巡り」大鳥神社・大阪府堺市西区鳳北町1の1の2・式内社・旧官幣大社和泉国一ノ宮は大鳥神社である。祭神は日本武尊と合わせ地域の豪族大鳥連祖神を祀っている。社伝に依れば東夷征伐の帰途我に病蒙り、伊勢国は能褒野に於て薨去こうきょされ白鳥と化し当地に留まったという。大鳥氏は『新撰姓氏録』に和泉国神別で大中臣朝臣と同祖、天児屋根命の後なりとある。大同元年(806)神封二戸が寄せられた。神階は『日本三...