『浪速史跡めぐり』四天王寺・極楽浄土の庭・西方十万億土を過ぎた彼方にある。阿弥陀如来の荘厳な優美な歓喜の世界

を想定して作られた「極楽浄土の庭」として公開されている。自然のわき水を利用した2つの小川「水の河」と「火の河」および2つの池「瑠璃光の池」と「極楽の池」を配し白砂の廻遊路を「白道」という広さ1万m²の池泉廻遊式庭園である「極楽浄土の庭」と、幾度の戦災を免れて現在に至る湯屋方丈(江戸時代初期建立、国の重要文化財)、そしてその前庭である座視式庭園「補陀落の庭」からなる。 造園の着工は江戸時代初頭とされ、現在...

『歴史の時々変遷』(全361回)25“氷上川継の乱” 「氷上川継の乱」奈良時代の反乱未遂事件。天応2年(782)に天武天皇の曾孫

『歴史の時々変遷』(全361回)25“氷上川継の乱” 「氷上川継の乱」奈良時代の反乱未遂事件。天応2年(782)に天武天皇の曾孫の氷上川継が謀反を計画し、事前に発覚して失敗したというものである。宝亀元年(770)8月に称徳天皇が崩御し、天智天皇の孫の白壁王が践祚した(光仁天皇)。壬申の乱以来、天武天皇の子孫が皇位を世襲してきたが、天武系の皇族の多くは打ち続いた政変に伴って殺害や処罰により政治生命を絶たれ...

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)115“光厳天皇” 光厳天皇(1313~1364)鎌倉末期天皇。元徳三年(1331)

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)115“光厳天皇” 光厳天皇(1313~1364)鎌倉末期天皇。元徳三年(1331)から二年間在位。名は量仁。父は後伏見天皇、母は広義門院寧子。嘉暦元年(1326)立太子。1331年討幕の為に京都を脱出した後醍醐天皇に代わって、鎌倉幕府の要請によって践祚。幕府滅亡後は後醍醐天皇によっては廃された。しかし、建武親政に離反した足利尊氏の求めに応じて、1336年朝敵...

「近畿三十六不動巡り」龍泉寺・奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派の寺院

「近畿三十六不動巡り」龍泉寺・奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派の寺院で、同派の大本山である。山号は大峯山。吉野の竹林院、桜本坊、喜蔵院、東南院と共に山上ヶ岳にある大峯山寺の護持院の一つ。本尊は弥勒菩薩。近畿三十六不動尊霊場第三十一番札所。龍泉寺の境内には、「龍の口」と呼ばれる泉から湧き出る清水が流れていて、修験者たちから「清めの水」とされ、大峰山の第一の水行場とされるなど、修験...

「神仏霊場巡り」熊野本宮・旧官幣大社・平安時代の「蟻の熊野詣」熊野本宮は京より遥か遠い往復一カ月を要する神仏習合の聖地

「神仏霊場巡り」熊野本宮・旧官幣大社・平安時代の「蟻の熊野詣」熊野本宮は京より遥か遠い往復一カ月を要する神仏習合の聖地、修験道の霊地である。熊野三山は本宮・速玉・那智大社化の形成されている。紀伊半島から西側に南下し、田辺から入る中辺路(筆者も少し歩いた)高野山からの小辺路、大峰山からの行者道、伊勢からの伊勢路を古代の人々は熊野に目指した。祭神は中央本殿(第三殿、証誠殿)には家都美御子大神(素盞鳴尊...

『浪速史跡めぐり』大依おおよさみ羅神社じんじゃ・我孫子観音より南北に大和川の手前の府立阪南高校の一角に大依羅神社がある。

『浪速史跡めぐり』大依(おおよさみ)羅神社(じんじゃ)・我孫子観音より南北に大和川の手前の府立阪南高校の一角に大依羅神社がある。祭神は開化天皇の第四皇子の豊波豆羅和気王を主神に住吉三神を合祀する。主神の依羅吾彦男垂見が、仲哀天皇の熊襲征伐に従ったこともあり、依羅氏は代々神官を勤め、南北朝の動乱で依羅氏が滅亡すると、社殿も焼失したと言う。現在の社殿は昭和四十六年に再建されたもので、本殿西北側にある、古井...

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)114“阿野廉子” 阿野廉子(1301~1359)後醍醐天皇の寵愛の女房

 。後村上天皇、祥子・惟子・皇太子となった恒良・成良親王両親王の3男2女の生母。女房号は新待賢門院。阿野公康の女。中宮禧子の内侍で後醍醐天皇の寵愛を受ける。元弘元年(1331)従三位に叙せられ、後醍醐の乳母の夫、洞院公賢の養女となり、その後見を得ている。後醍醐の隠岐流罪には、廉子と二人の女房と近臣二人が共にした。建武新政権で廉子の地位は高く、第一の護良親王に次ぐ恩賞が与えられた。「太平記」や北...

『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 27・「葦原中国平定の神々」 天下り活躍した神々、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう

『古事記が描く説話の憧憬』全61回(楽しい古事記) 27・「葦原中国平定の神々」 天下り活躍した神々、日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう。「古事記」では天照大御神ら高天原にいた神々(天津神)は、「葦原中国を統治すべきは、天津神、とりわけ天照大御神の子孫だ」とし、何人かの神を出雲に遣わした。大國主神の子である事代主神(ことしろぬし)・建...

「京都古社寺探訪」法然院・京都市左京区鹿ヶ谷にある浄土宗系の寺院である

  。元は浄土宗内の独立した一本山であったが、昭和28年(1953年)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となる。正式名は、「善気山法然院萬無教寺」と号するが、院号の「法然院」で名が通っている。別称には「本山獅子谷法然院」がある。寺の起こりは、鎌倉時代に、法然が弟子たちと共に六時礼讃行を修した草庵に由来するという。江戸時代になり、延宝八年(1680年)に、知恩院の第三十八世である萬無が、法然ゆかりの地に念...

「神仏霊場巡り」日牟禮八幡宮・祭神は誉田別尊・息長足姫尊・比売神。近江八幡市の日牟禮八幡宮

 は創建は成務天皇が高穴穂宮で即位の時、武内宿祢に命じて大嶋大神を祀ったのが始まりという。天皇が近江行幸の際に、沖津島神社の帰りに日牟禮社に立ち寄ったが、後年そこで日輪を見る奇端があって、祠を建てて「日群八幡宮』称した。一条天皇の正暦二年(991)法華峰(八幡山)に社を建て宇佐八幡宮を勧請し「上の八幡宮」を祀ったと伝えられる。寛弘二年((115)遥拝の麓(現在地)に「下の社」した。皇室の崇敬深...