史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

>「神仏霊場巡り」法華寺・奈良市法華寺町にある法華寺は奈良時代には日本の総国分尼寺

ほ法華寺9
「神仏霊場巡り」法華寺・奈良市法華寺町にある法華寺は奈良時代には日本の総国分尼寺として東大寺の総国分寺の諸国国分寺、国分尼寺として配布された。本尊は十一面観音・開基は光明皇后である。元は真言律宗に属したが離脱し光明宗と称している。光明皇后所縁の寺院として、また門跡尼寺として知られ(皇族・貴族の子女が住職となる格式の高い寺院)この地は藤原不比等の邸宅があって、不比等の没後に、娘の光明子が相続して皇后宮として、官寺として法華寺を創建をした。法華寺の伽藍の完成まで十年以上の歳月を要した。発掘の結果法華寺の境内は平城京の東宮の東に接し、東西2町、南北2町にも及んだと分かった。金堂・講堂・東西両塔・阿弥陀浄土院があって丈六の阿弥陀三尊が本尊として安置されていた。平安時代以降は衰退し、平安後期には荒廃していたという。鎌倉時代には重源の東大寺再建と共に法華寺も再建がされた。その後鎌倉後期に叡尊によって本格的に再建された。その後地震や戦火に焼失したが豊臣秀頼と母淀殿によって復興した。法華寺は叡尊以来真言律宗として、また門跡寺院として保持していたが平成十一年に光明宗と変更された。※歴史に学ぶ 先人の知恵と教訓。
スポンサーサイト

「神仏霊場巡り」長田神社・兵庫県神戸市長田区長田町に位置する神社。旧社格は官幣中社

 

な長田神社え 

「神仏霊場巡り」長田神社・兵庫県神戸市長田区長田町に位置する神社。旧社格官幣中社廣田神社生田神社とともに神功皇后以来の歴史を持つ名社とされる。生田神社、湊川神社と共に神戸を代表する神社の一つ。主祭神は事代主神。本殿瑞垣内に天照大御神応神天皇を祀る。『日本書紀』によると、神功皇后摂政元年)2月、神宮皇后三韓征服後、新羅より帰還中、難波に帰還する途中、武庫の水門で船が進まなくなったので卜ったところ、事代主の神より「吾を長田國に祀れ」と神託を受け、創祀されたという。 この由緒から、2001平成13年)には鎮座1,800年を祝った。太古から長田神社と呼ばれていたが、長田社、長田宮、長田大明神、摂津本宮長田大明神とも呼ばれていた。延喜式神名帳では名神大社、更に祈雨八十五座に列され、社に奉祀する神戸(かんべ)41戸によって護持されていた。現在まで続く「神戸(こうべ)」の地名は、この神戸職に由来している。近代社格制度のもとで1871明治4年)に県社に列格し、その後1885(明治18年)に明治天皇の西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、1896(明治29年)には官幣中社に昇格した。なお、社格昇格の経緯は同じ神戸市内の生田神社と同様・同時である。

★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「神仏霊場巡り」大念仏寺・平野に府下最大の木造物が大念仏寺で、日本十三宗の一つで、融通念仏宗の総本山である

だ大念仏A「神仏霊場巡り」大念仏寺・平野に府下最大の木造物が大念仏寺で、日本十三宗の一つで、融通念仏宗の総本山である。本尊は十一尊天得阿弥陀如来で開山良忍上人である。

JR平野駅から南へ五分、国道を渡ると昔ながらの町屋が見える。古来平野郷と称して自治独立を徳川家康から許された。その平野郷の中にあって浪速、河内、大和を中心に末寺、檀家を持ち、地元に根付いた念仏道場である。

大きな堂内で繰り広げられる大数珠回し「百万遍大数珠くり」五月の連休の五日間「平野の万部おねり」は浪速、河内、大和の、難波の風物詩である。

この平野の地に大念仏寺を創建したのは「良忍上人」(聖応大師1072~1132)尾張国生れである。比叡山に上がり修行後、洛北大原で二十余年の修行の末「阿弥陀仏」から融通念仏を授かり、諸国を念仏勧進をして、その途中の四天王寺に一夜参籠し聖徳太子の夢告により平野の地で大念仏会を開いた所、人々の参集があって、朝廷の天聴があって鳥羽天皇の加護と帰依があった。僧にだけ留まらず一般庶民にまで普及し信者が急増した。室町には僧法明が各地の寺院に広め融通念仏が行なわれた。「一人一切人、一切人一人、一行一切行、一切行一行、十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満」と言う風に念仏の功徳を融通するものであった。この念仏の考え方はその後の日本の阿弥陀信仰に大きな影響を与えた。中世、近世と伝統的な行事などは近年まで続けられ、浪速、河内一円で十一尊天得阿弥陀如来を奉納し鉦を打ち鳴らし檀家を廻る法要は有名である。また本堂の天井の周りに吊ってある巨大な数珠は法会に降ろし信者が堂内を輪になって念仏をあげながら数珠を廻し、繰る法会はニュースの映像でよく見ることができる。

 

★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「神仏霊場巡り」日吉大社・滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社

ひ日吉大社ko「神仏霊場巡り」日吉大社・滋賀県大津市坂本にある神社式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社。全国に約二千社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。二つの本宮と以下の五つの摂社から成り、日吉七社・山王七社と呼ばれる。本宮・西本宮:大己貴神・東本宮:大山咋神。五摂社・牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂・樹下宮:鴨玉依姫命・三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂・宇佐宮:田心姫神・白山宮:菊理姫命。日枝の山とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇七年に、日枝山の山頂から現在の地に移されたという。また、日吉大社の東本宮は、本来、牛尾山山頂の磐座を挟んだ二社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇七年に創祀されたものとも伝えられている。なお、三宮神社に対する里宮は樹下神社である。西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇七年、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになった。神階としては、それぞれ正一位に叙せられた。『延喜式神名帳』では名神大社に列格し、さらに長暦三年、二十二社の一社ともなった。最澄比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。中世に比叡山の僧兵強訴のために担ぎ出したみこしは日吉大社のものである。元亀二年(1571)、織田信長比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正十四年(1586年)から再建されたものである。信長の死後、豊臣秀吉徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたためである。明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。また、本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。

 

★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「神仏霊場巡り」丹生官省符神社・和歌山県伊都郡九度山町にある神社。九度山町慈尊院集落の南部に位置する

に丹生官符神社4「神仏霊場巡り」丹生官省符神社・和歌山県伊都郡九度山町にある神社。九度山町慈尊院集落の南部に位置する。本殿は国の重要文化財。本殿はユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』祭神は丹生都比売大神・高野御子大神・大食都比売大神・市杵島比売大神・四神に太神宮(天照大御神)、八幡宮(誉田別大神)、春日明神(天児屋根大神)の三社を祀り、神宮寺神通寺をあわせ神通寺七社明神とも呼んだ。社伝では弘仁七年(816)に空海によって創建されたという。高野山の領する官省符荘鎮守とされ、応永三年(1396)の文書に「官省符鎮守・神通寺七社」と記録がある(『官省符荘庁番殿原請文』.この他にも神通寺七社明神の記録があり、七社のほかに十二王子社・百二十番神社などの名前が挙げられている。また、『紀伊続風土記』によれば、七社のうち丹生・高野の両神は弘仁年間に空海が勧請し、十二王子と百二十番神の二社が同時に勧請され、気比・厳島の二神は文明年間に勧請されたと伝えられており、これら四社は天文年間の洪水によって昔の境内が沈んでしまったので移転したという。1910明治四三年)に九度山、入郷、慈尊院(現・九度山町)にあった諸社を合祀し、1946(昭和21年)、丹生官省符神社の社号にあらためた。★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

 

 | HOME |  古い記事へ »

文字サイズの変更

最新コメント

最新記事

カテゴリ

未分類 (1425)
鎌倉・室町の群像伝 (69)
古社寺探訪 (24)
浪速今昔百景 (4)
戦後日本のあの日あの時 (53)
河内古社寺探訪 (1)
神仏霊場巡り (49)
一ノ宮巡り (13)
西国観音三十三所巡り (28)
近畿三十三不動巡り」 (6)
西国四十九薬師巡り (10)
浪速史跡巡り (25)
河内史跡巡り (32)
遺跡巡り (10)
古事記が描く説話の憧憬 (8)
歴史の時 (0)
歴史の時々変遷 (8)

月別アーカイブ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

プロフィール

侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

FC2Ad

Template by たけやん