鎌倉・室町の群像伝』(全186回)148“大田道灌” 太田道灌(1432~1486)室町後期の武将。

『鎌倉・室町の群像伝』(全186回)148“大田道灌”太田道灌(1432~1486)室町後期の武将。扇谷上杉家の家老。実名は一般に太田持資と伝えらえている。太田資長とする説も有力である。扇谷の家老として活躍した太田資清の子で、康正元年(1455)頃家督を継いだらしいが、間もなく武蔵江戸城を修築して自らの居城とした。関東は古河公方足利成氏と関東管領の上杉氏とが対峙する大乱の渦中にあったが、道灌は上杉陣営...

『鎌倉・室町の群像伝』九十八“北条時行”北条時行(?~1353)鎌倉時代末期から南北朝時代の武将である。鎌倉幕府最後の得宗北条高時

 『鎌倉・室町の群像伝』九十八“北条時行”北条時行(?~1353)鎌倉時代末期から南北朝時代の武将である。鎌倉幕府最後の得宗北条高時の遺児。鎌倉幕府残党を糾合して北条氏復興のため中先代の乱を引き起こし、一時鎌倉を奪還した。のち足利尊氏方に捕らえられ処刑されたとされる。幼名を亀寿丸という。母は安達時顕の娘・二位局。1333年、新田義貞による鎌倉攻めが行われ、執権北条高時を始め北条一族郎党は集団で自害し...

『鎌倉・室町の群像伝』九十七“関山慧玄”関山慧玄5 (2)”関山慧玄(1227~1360)鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗の僧。信濃国高井郡の国人領主高梨氏

 『鎌倉・室町の群像伝』九十七“関山慧玄””関山慧玄(1227~1360)鎌倉時代末期から南北朝時代の臨済宗の僧。信濃国高井郡の国人領主高梨氏で高梨高家の子とされる。朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳勝妙、自性天真、放無量光の国師号が与えられ、また、明治天皇から無相大師と追諡された。 1307年に鎌倉の建長寺に入り、南浦紹明に師事。慧眼の法名を授かり、南浦寂後も鎌倉にあって物外可什、巨山志...

『鎌倉・室町の群像伝』九十五”北畠親房“ 北畠親房(1293~1354)鎌倉末期から南北朝期の公卿。

『鎌倉・室町の群像伝』九十五”北畠親房“ 北畠親房(1293~1354)鎌倉末期から南北朝期の公卿。中院流村上源氏。父は北畠師重、母は藤原隆重の女。正安二年(1300)兵部権大輔に任官。1308年従三位、左兵衛督、検非違使別当を歴任。1312年従弐位。1324年大納言となった。吉田定房、万里小路宜房とともに後醍醐天皇の親政を補佐して「後三房」と称された。天皇の厚い信任を受けて、第二皇子世良親王...

『鎌倉・室町の群像伝』九十四“新田義貞” 新田義貞(1301~13389鎌倉末から南北朝期の武将。

『鎌倉・室町の群像伝』九十四“新田義貞” 新田義貞(1301~13389鎌倉末から南北朝期の武将。上野国の御家人。通称小太郎。父は朝氏。正憲二年(1333)本領新田荘世良田に駐屯する幕府徴税使紀親連を捕縛し、5月8日には討幕挙兵をした。売却地に天役を賦課されたのが反逆の契機と思われている。各地の反幕勢力に推されて22日には鎌倉幕府を滅亡させた。その後、足利尊氏派との権力闘争に敗れて京都に移り、...