『河内史跡巡り』鴨高田神社・近鉄永和駅下車北側に鴨高田神社・当社は鴨(賀茂)氏の一族が

『河内史跡巡り』鴨高田神社・近鉄永和駅下車北側に鴨高田神社・当社は鴨(賀茂)氏の一族が673年(白鳳2年)に創建したと伝えられる延喜式内社で、祭神に速須佐之男命及び大鴨積命(素盞鳴命の十一世孫で、鴨氏の開祖)を祀ったのが当社の始まりで、中世に入り、岩清水八幡宮領となり、神功皇后、応神天皇を合祀し、「八幡宮」と称される様になった。 1615年(元和元年)大坂夏の陣にはこの付近が戦場となり、当社も兵火...

「河内史跡巡り」「念佛寺」・河内西国観音二番札所・平野の大念佛寺の末寺で、一三四一年念佛寺として僧盤龍上人

「河内史跡巡り」「念佛寺」・河内西国観音二番札所・平野の大念佛寺の末寺で、一三四一年念佛寺として僧盤龍上人によって創建されました。もともと久宝寺の末院であったというこの寺には、鎌倉時代末頃の作といわれる十一面観音菩薩がありますが、これは許麻神社の宮寺であった観音院の本尊として祀られていたものです。本堂となりには滝谷不動の流れをくむ不動堂があり眼病平癒の霊像として信仰されています。久宝寺寺内町のほぼ...

「河内史跡巡り」大林寺・河内西国観音五番札所・布忍駅から歩いてすぐ、かつて七堂伽藍

「河内史跡巡り」大林寺・河内西国観音五番札所・布忍駅から歩いてすぐ、かつて七堂伽藍の広大な寺院であった永興寺の跡と伝えられる地域から、川を隔てたところに融通念佛宗の寺、大林寺があります。そこには平安後期の作といわれる木造十一面観音立像、室町時代の木造不動明王座像、江戸時代宝永~正徳にかけての肉筆による大般若経六百巻、江戸時代中期の十一面観音の版木などなど…永興寺の隆盛の名残ともいうべき、貴重な遺物...

「河内史跡巡り」観音寺・河内西国観音十九番札所・岩田 観音寺は宝暦五年(西暦一七五五年)、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼が開基

「河内史跡巡り」観音寺・河内西国観音十九番札所・岩田 観音寺は宝暦五年(西暦一七五五年)、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼が開基。正法律根本道場として弟子の教化につとめたと伝えられています。また慈雲尊者が河内巡回の折、よく当寺に立ち寄ったということです。その時書かれた梵字が尊者の足跡として瓦などにのこされており、その一つを本堂屋根の鬼瓦に見ることができます。六方石を枠にはめ、建てら...

「河内史跡巡り」玄清寺・河内西国観音二十三番札所・額田駅

「河内史跡巡り」玄清寺・河内西国観音二十三番札所・額田駅から緩やかな坂道を下って行くと、大きなシュロの木があるお寺が見えてきます。山門を入ると、中央に本堂と庫裡、向かって左側に観音堂、右側に鐘楼が建っています。ここ玄清寺は浄土宗の大寺で、慶長二年(一五九七)額田村の高内正定氏が聖誉上人を招いて開いたといわれています。正定氏は浄翁玄清居士と称したので、浄翁山玄清寺と称するようになりました。延宝年間(...