史跡を巡る歴史の憧憬               川村一彦

『河内史跡巡り』鴨高田神社・近鉄永和駅下車北側に鴨高田神社・当社は鴨(賀茂)氏の一族が

か鴨高田神社お『河内史跡巡り』鴨高田神社・近鉄永和駅下車北側に鴨高田神社・当社は鴨(賀茂)氏の一族が673年(白鳳2年)に創建したと伝えられる延喜式内社で、祭神に速須佐之男命及び大鴨積命(素盞鳴命の十一世孫で、鴨氏の開祖)を祀ったのが当社の始まりで、中世に入り、岩清水八幡宮領となり、神功皇后、応神天皇を合祀し、「八幡宮」と称される様になった。 1615年(元和元年)大坂夏の陣にはこの付近が戦場となり、当社も兵火にかかり、社殿はことごとく烏有に帰したが、後数年を経て、再建されている。  隣接している長栄寺とは掛かり合いが深く、江戸時代の案内書「河内名所図会」には、『長栄寺の鎮守となり、今八幡と称される』とある。1868年(明治元年)の神仏分離後、1872年(明治5年)郷社に列せられた。現在の社殿及び拝殿は1907年(明治14年)の再建である。

★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

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「河内史跡巡り」「念佛寺」・河内西国観音二番札所・平野の大念佛寺の末寺で、一三四一年念佛寺として僧盤龍上人

ね念仏寺河内2 (1)「河内史跡巡り」「念佛寺」・河内西国観音二番札所・平野の大念佛寺の末寺で、一三四一年念佛寺として僧盤龍上人によって創建されました。もともと久宝寺の末院であったというこの寺には、鎌倉時代末頃の作といわれる十一面観音菩薩がありますが、これは許麻神社の宮寺であった観音院の本尊として祀られていたものです。本堂となりには滝谷不動の流れをくむ不動堂があり眼病平癒の霊像として信仰されています。久宝寺寺内町のほぼ中央に位置し、向かいには八尾市まちなみセンターがあります★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「河内史跡巡り」大林寺・河内西国観音五番札所・布忍駅から歩いてすぐ、かつて七堂伽藍

お大林寺「河内史跡巡り」大林寺・河内西国観音五番札所・布忍駅から歩いてすぐ、かつて七堂伽藍の広大な寺院であった永興寺の跡と伝えられる地域から、川を隔てたところに融通念佛宗の寺、大林寺があります。そこには平安後期の作といわれる木造十一面観音立像、室町時代の木造不動明王座像、江戸時代宝永~正徳にかけての肉筆による大般若経六百巻、江戸時代中期の十一面観音の版木などなど…永興寺の隆盛の名残ともいうべき、貴重な遺物、資料が残されています。永興寺は、奈良時代の僧永興律師によって草創され、布忍寺と名付けられたとされています。のち弘安年間(1278年~87年)に中興され、草創の永興律師にちなんで永興寺と呼ばれるようになったと伝えられています。その後も元禄三年(1690年)に再興され、幾度か衰退と復興をくり返しながら、明治六年ついに廃仏毀釈の動きの中で廃寺となるに至りました。その後本堂が、現存する唯一の建造物として柏原市法善寺の壺井寺に移築され、本尊とみられる十一面観音立像等いくつかの所蔵品がこの大林寺に移されたのである。★歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「河内史跡巡り」観音寺・河内西国観音十九番札所・岩田 観音寺は宝暦五年(西暦一七五五年)、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼が開基

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「河内史跡巡り」観音寺・河内西国観音十九番札所・岩田 観音寺は宝暦五年(西暦一七五五年)、この地の人で、慈雲尊者に深く帰依した高峰智興大尼が開基。正法律根本道場として弟子の教化につとめたと伝えられています。また慈雲尊者が河内巡回の折、よく当寺に立ち寄ったということです。その時書かれた梵字が尊者の足跡として瓦などにのこされており、その一つを本堂屋根の鬼瓦に見ることができます。六方石を枠にはめ、建てられたという山門の扁額も尊者の書によるものです。尚、本尊の十一面観世音菩薩像は弘法大師作と伝えられています※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

「河内史跡巡り」玄清寺・河内西国観音二十三番札所・額田駅


「河内史跡巡り」玄清寺・河内西国観音二十三番札所・額田駅から緩やかな坂道を下って行くと、大きなシュロの木があるお寺が見えてきます。山門を入ると、中央に本堂と庫裡、向かって左側に観音堂、右側に鐘楼が建っています。ここ玄清寺は浄土宗の大寺で、慶長二年(一五九七)額田村の高内正定氏が聖誉上人を招いて開いたといわれています。正定氏は浄翁玄清居士と称したので、浄翁山玄清寺と称するようになりました。延宝年間(一六七三?八〇)教誉上人が当寺を中興し、第十世寂誉上人の時、享保二年(一七一七)三月に檀頭の高内氏首性一家が施主となって本堂が上棟されました。この時の棟札は大工頭梁、藤原正氏の子孫である藤田貞三氏が所蔵されています。現在の本堂は昭和四十六年、第二十九世清誉上人の時に建立されたものです。平成九年、開基四百年を迎えた玄清寺は第三十世芳誉上人の晋山式に加え、木造二階建ての庫裡を新築。本尊は阿弥陀如来坐像(像高九二センチ)で、木彫漆箔、来迎印を結び、舟形光千体仏を配し天蓋を垂れています。本尊右には浄土宗の基となる教えを説いた善導大師像、浄土宗開祖法然上人像を安置し、別に高内正定氏の木像もあります。
※歴史をたどれば、時代に生きた、先人の喜怒哀楽の生きざまが見えてくる。

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侏儒のつぶやき

Author:侏儒のつぶやき
趣味歴史。歴史研究会に参加。フェイスブック「史跡探訪と歴史の調べの会」管理。
著書多数。歴研出版より「平安僧兵奮戦記」自費出版「古事記が語る古代の世界」「古事記が描く説話の憧憬」『芭蕉紀行世情今昔』他多数。

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